タイヤが付いた200㎏の物体
お久しぶりです。最近YNFP‐16のテクニカルディレクターを務めておりました堀です。
YNFPで3年間活動してきたわけですが、これで現役終わりなのですね
正直引退の実感がわかないというか全くわかないというかとにかくわかないです。
大会とかただ静的審査がある走行会が終わっただけって感じです
この3年間でこの200㎏ほどの物体を速くするのにどれだけの労力と情熱と技術とが詰め込まれているのか、片りんを見ました。すごいですねこれ。
そしてうちでこれなら海外のトップチームにはどれほど詰め込まれているのか...
本当に面白い物体です
以下しばらく大会の反省、感想です。
今回書くのはデザイン審査、動的種目の2つですね
デザインにおいては準備はやれるだけやりました。
当日少々伝えきれずに減点されてしまったであろう点はありますが昨年度より5点ほど向上しました。
ただファイナル行けなかったのはものすごく悔しいです。ちなみに審査員の方も押してくれていたそうな。
動的について
アクセラスキパに関しては戦略負けです。安全策取りすぎました。特にスキパで5秒切れるマシンだったのでレインタイヤで走ってしまったことは失敗ですね。
周回走行はセッティングがにつまり切ってませんでした。
知ってはいましたがトラクションが全くかからない。大会で特にひどかったようです。
あと冷却、きつすぎました。
そしてベストサスペンション賞2位を頂きました。
歴代の方々が組み上げ、S・H君が今年の概要を作り、N・Aさんが仕上げたジオメトリに私がバネやダンパなどの数値を込め、レポートに起こしたサスペンションです。
1位がGrazなので2位というのは日本で最も評価されたサスペンションということです。
実は反省も山のようにあるのですが評価されたことは本当にうれしいです。
0.61点差ですが、2位はとても良い、誇れる結果です。あとは後輩にバトンタッチして来年に期待します
以下3年間の振り返り
ちなみにこの3年間
入部して
整備覚えて
カウル作業やって走行会ほぼ連れて行ってもらえず
なんか大会でクラッシュしてて
エアロ設計して
節約するために型を全部自作することとなり、経験がある人がほぼいないまま雄型製作開始
なんかしらんけどコストー100点というニュースが転がり込んできて
カウル作業やってたら走行会もほぼ連れて行ってもらえず
大会でデザインファイナル残って
ちなみにここまで3年になるときのために本を読んで力をためていました
そして3年生になってトラックエンジニアに就任して車両の諸元とかを色々設計し
TDが消失して設計期にTDに就任し
カウル解析回すはずだったのがほぼ回せないまま設計終了し
整備性や製作性なんてわからないからそのあたりパートリーダーに放り投げ
製作で詰むのを避けるためエアロデバイスは製作性9割で設計を行うこととなり
冬に雌型まで完成させるため寒いなかぼっちで作業場の主となり
SES通らないだIAD通らないだ発生し
TDとして走行会の勝手もわからないまま走行会に出て車両いじって
新品タイヤのせいで絶望してウィング切り取って
塗装には全日行くこととなり
大会ではエアロ担当のくせにデザイン審査シャシーを話すこととなり
エアロを超短期間で後輩に教え込み
そして大会でした
愚痴ばっか挙げてますがまあこんな感じです。
これだけ書くとよくやめようと思わなかったなぁと(笑)
やめたいとは何度も思いましたけど←
とくに3年生の時は、いろいろな人にタスクを投げて支えてもらいました。
もちろん設計等、楽しかった、面白かったことはたくさんあります。
成果が出たものもたくさん
ベストサスペンション賞頂けましたし
ビークルダイナミクスに関しては某解説者さん絶賛してましたし
エアロのレベルは相当上がったはずですし
車両の全体設計は主に私(とS・H君)がしましたが、それを本当にクリアしてきっちりと設計、製作してくれたチームメンバーに、特に設計管理までほぼ任せてしまったパートリーダーの二人には本当に感謝しています。
3年生が多かったこともありみんなしっかりしてました。設計納期直前にステアリングが逆に切れることが判明したりしましたけど←
無理はあまりせず、しっかりと作る今のメンバーだから2位がとれたのだと思っています。
とはいってもチームの総合力としては日本トップをK大とN大としてその下のグループの一角でしかないと思います。
上がこけてくれたからそのグループで優勝争いが起き2位が取れたわけで、少なくとももう一段階伸ばさなくてはいけないことは確かです。
ほかにも先生方、スポンサーの方々等本当に多くの方々に支えられ、応援して頂けていることを実感いたしました。
さて、設計について
私はエアロ担当でしたが、3年生では車両運動関係の設計もおこないました。
結果としては思った通りのことはできたのですが、ほかの面で反省が多かったです。
15年度は良くて、考えるのが難しかったことを無視したらそこが全然ダメな車両になってしまいました。
まあ昨年よりタイムは出てますが...
大会のタイムを見ると本当に悔しいですね。ドライバーはいい仕事をしてくれているのに。
ほかにも、走行経験も何もないやつがいじったので、設計時に見るべき点も見方もはっきりしていませんでした。
今思うと無駄なところに注力したりいろいろ。
ですが車両運動について結構はまってしまい、今年の大会でも審査員に話を聞きに行き、走行により反省と経験が得られました。
今年作れば数段いいものが作れる自信はあります。そしてやりたいです。やらせてくれるかはわかりませんが。
ただこれについては学部2年で設計する内容じゃないですね(笑)制御も振動も使いまくりです。
あとエアロは製作はともかく設計が楽しかったです。
今年といい去年といい世界で10指に入る程度のチームの走りを見て...そしてあれより1秒2秒早く周回する化け物が世界にいることを理解して...
もちろん今の車両で太刀打ちできるとは思えませんし、今もってる技術をすべてつぎ込んでも世界最速には届きません。
正直その世界に4気筒がいることがわけわからないです。
でもだから面白いと思いますし本気で挑んでみたいと感じます。
私はこの部活がやりたかったから横国に入りました。
3年間やって思いましたが
私はやっぱり、車が速く動くことが、そして速く動く車が好きで好きでたまらないみたいです。
これからも車の勉強は続けていきそうです
あと英語←
重ね重ね、応援してくださった皆さん、チームメンバーみんな
本当にありがとうございました!!素晴らしい3年間でした
そして、最後の交流会に行くときの運転を自分にやらせてくれてありがとうございます。はじめて車両を自分で乗って操舵して...本当にいい経験を最後の最後にしました。ものすごく楽しかったです‼
柄にも合わず長文書くと読みにくいですね。ではこのあたりで失礼します。
最後に......
もうカウル製作だけは許して
明日の日記は
大会2日目に伝説を残した太郎です