お久しぶりです。

こんにちはYNFP-19でパワートレイン班リーダーを務めた福田です。

みなさん、ご機嫌いかがかなん?

私は引退した実感がわかず、いまだにふわふわしたかんじです。

こんなふざけた挨拶から始まる日記に二年間もお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

皆様の多大なるご支援、ご声援のもと、無事に総合準優勝を勝ち取り横浜に帰ってまいりました。

各競技についての反省点は多々ありますが、報告書が出来上がり次第、ご支援いただいてるスポンサーの方々には詳細に報告させてただこうと思います。

さて、自分のYNFPでの活動を締めくくる日記を書くわけなのですが、どこから書き始めればいいでしょうか、、、

私とモータースポーツの初めての出会いは荒川の河川敷でモトクロスバイクのPW-50(YAMAHA製)に乗った時でした。自転車の補助輪も外れないような5歳児をバイクに乗せるなんて父は何を考えているんでしょうか。正直なことを言えばバイクに乗ったという記憶はありません。気が付いたらバイクのある生活が当たり前で、それが普通だと思っていました。そこからはミニバイクレースに出ていろんな友達ができて、ただバイクに乗るのが楽しかったです。

そんな生活をつづけながら小学五年生になった時に父親の通勤に使っていた一台のスクーター、ストリートマジック50(SUZUKI製)を与えられて「これをレース用にしてレースしろ」と言われました。バイク仲間と一緒にフルオーバーホールしてマシンをくみ上げたのが「マシンづくり」の一歩目でした。ねじの締め方も知らない小学5年生にバイクに組ませるなんて父は何を考えているんでしょうか。

しかしこの一台が自分のエンジニアとしてのスタートとなる一台となりました。キャブレターのセッティング、タイヤエア圧のセッティング、駆動周りのセッティング、自分で考えて自分で作り自分で乗る。乗ったらまた考えて作って乗ってのループ。殆ど学生フォーミュラのようなことをしていました。スクーター時代にもうちょっとどん欲に頑張ってればフォーミュラでの結果も変わってたのかなあ、、、

そんな中学生活を送り、作る車両も空冷50ccから水冷125ccへと変わり高校生になりました。そんな年の夏に、学生フォーミュラと横浜国立大学のオープンキャンパスで出会いました。機械工場の前に置かれたワインレッドのカウルを被ったフォーミュラカーに私は釘付けになりました。バイク用のエンジンを搭載したフォーミュラカーを作って大会に出て速さを競っている。その言葉を部員の方から聞いたときに自分の進路は決まったような気がします。「横国に入学して学生フォーミュラをやる。」冬休みに入る前には親や進路の先生にそう話していました。私がワインレッドのYNFPにこだわったのもこのせいです。ワインレッドのYNFPは真紅のフェラーリやロスマンズカラーのNSR500と同じくらい尊いものだと思ってます。

受験勉強を乗り越えて合格発表の2日後には嬉しすぎて部室を訪問していました。市川さんに工場や部室を案内してもらい17パワトレ班の三人と写真を撮って企画書をもらったのが懐かしいです。

YNFP‐17

毎日が新鮮な日々でした。昔過ぎて何をしていたかあまり思い出せませんが、いろんな作業をして、たくさん走行会に参加しました。快音を響かせて走るマシンが好きで、整備するのが楽しくてしょうがなかったです。

6月からはマシンに乗せてもらえて、スキッパドライバーのオーディションにも参加しました。しかし、結果は不合格。17パワトレリーダーのかつさんに負けたのがとても悔しかったのを覚えています。

そんなこんなで大会に参加し結果は総合6位。自分が何か言えるような立場ではないですがアリーナでの表彰式はみんなうつむきがちで誰一人チームメンバーは喜んでいなかったような気がします。直輝さんに「どうだった?」と聞かれ「すごく悔しいです」と答えていました。

YNFP-18

この年が自分は一番つらかったです。

全員が一年生で始まったパワトレ班。どうすればいいのかわからないまま吸排気の解析を回す日々。どうすればいいのかわからないまま、ただ時間だけが過ぎていく設計期。突如降ってくる排気担当という役目。何もかもが初めてでわからないことだらけの中を暗中模索するような一年間で、気が付けば土砂降りの中のエンデュランスを完走し、総合13位という苦い結果に終わりました。

17より静的の点数は回復し、エコパのチームベストタイムも更新できましたが何かを成功させたかと問われると「何もできなかった」と答えてしまいそうな一年間でした。

YNFP-19

しかし、YNFP-18の苦しい日々は無駄ではなかったとYNFP-19では常に感じながら過ごしていました。

二年目のパワトレリーダーとして、車の正常進化を徹底して行い、設計の管理をできたと感じています。軽量化管理もTDの田中さん主導のもと徹底して行い、その結果が車両に現れました。

二年目である強さは設計のみならず製作にも表れていました。首脳全員が二年目だから車両の全体像が浮かんでいるし足りない部品や、進捗の遅れに早く気付ける。歴代で一番ホワイトな製作期で、シェイクダウンの完成度はYNFP始まって以来最高のレベルでした。日本最速シェイクダウンで日本最速シェイクダウンドライバーになれたこともうれしかったです

小さなトラブルが多々ありましたが無事にテスト走行を重ね、大会までたくさん走りました。たくさん乗せてもらえたおかげでだいぶ自分のドライビングもましになりました。

え?サイドインパクトストラクチャの付け直し?メインフープを入れ替えた自分たちにとっては、そんなもんトラブルのうちにも入りませんよ。

そんなこんなで大会をむかえました。

結局車検は一発じゃないし、騒音で引っかかるし、電装トラブルで三日目午前つぶすし色々と慌ただしかったです。でも動的ではスキッドパッド5位、アクセラレーション6位、オートクロス2位、デザイン4位、プレゼン2位と総合優勝が現実味を帯びてくる結果にチームは盛り上がっていました。そう、コストの結果が出るまでは。

4日目のコストの結果が出てからはそれはそれはお通夜ムードでした。優勝の可能性は無くなり総合3位以内すら厳しい状況。その夜のミーティングの空気の悪さったらありません。本当にイモトお疲れ様です。

とりあえずベストを尽くして祈るしかないということで収まり、最終日。

結果から言えば上位のリタイアで準優勝。嬉しいけど悔しい、そんな準優勝でした。

エンデュランスの走行中はとても楽しかったです。ファイナル6の最後のドライバー。観客数もマックスでみんなに見られながら走るのは最高でした。

この結果を棚ボタだという人もいるかもしれませんが、転がり落ちてきた準優勝を拾える位置にいた自分たちの強さで勝ち取った準優勝だと思います。

YNFPはまだまだ続きます。レーシングチームとして勝利を目指すか、エンジニア集団として技術開発を進めるか。判断は後輩たちに委ねます。

ですが向上心だけは常に持ち続けてください。

自分の願いはただそれだけです。

支離滅裂な文章となりましたがひとまずここで終わります。自分もまだまだエンジニアとして半人前にすらなれてない身です。後輩に負けないように勉強していきたいと思います。

それでは失礼いたします。。