最後まで日記の投稿がギリギリなのです

皆さんどうもお久しぶりです。

日記のたびにお腹の具合が悪いことを打ち明けてきた後藤です。

今日はなんだか調子がいいです。

ここで日記を書くのも2年ぶりくらいでしょうか。

一昨日の追いコンでは、たくさんの後輩たちに温かく送り出してもらえて本当に嬉しかったです。

僕の記憶の限り今年のプレゼントが一番良かった気がします!

加納GJ!

ただ送り出してくれた今の現役メンバーたちは僕ら10世代がどんなだったかを知らないようなので、

この機会に僕も昔を振り返ってみようと思います。

当時のことを思い出すと大変頭が痛くなってきます

が。

それはきっと、それくらい素敵な思い出だということです。

まぁ昨日鈴木が書いてくれた通り、10はYNFP始まって以来の猛烈にブラック

な世代でした。

少数精鋭(笑)

センターにいるメンバーだけではマシンを持ち上げることすらできない始末。

09の前田さんや佐山さんに電話してわざわざマシンを持ち上げるためだけにセンターに呼びつけるという無礼を働きました。何度も。

これでも最初は10世代は4人いたんですよ!(1年の時は7人)

僕がリーダーになるという事が決まったのは、10世代が指導する本当に当日のことでした。

最後まで僕と米澤のどっちにするか考えていたのですが、結局僕になりました。

それをチームに発表したときに、中村さんと當眞さんからは「リーダーの仕事はチームの目標共有と意思統一」と言われ、

顧問の先生からは「リーダーは怒られるのが仕事」と言われました。

前者の仕事がちゃんとできてたかは今でもわかりませんが、

後者については、たしかに思い返せば一年間怒られっぱなし

のリーダーだった気がします。

設計期の頃はまだ良かったんです。

ただ制作期に入ると、工場の稼働時間などは制限があるため人手不足が一層響きます。

僕は昨日の日記にも出てきた"S君"を気にしながらの作業だったのでまぁ進まない進まない。

あとフレームの溶接にズレが出てしまい、そこそこ組みあがったフレームをグラインダーで真っ二つ

に切断するというビッグイベントがありました。

死んだ顔をしながら切っていた気がします。

この時なぜか嬉しそうに分断されたフレームに乗り込んでいたS君の最高の笑顔は忘れられません。

さらにシェイクダウンはなかなか壮絶でした。

米澤が「できたよー!」と嬉しそうに見せてきたステアのホルダーが

タイラップで固定されているのを見たときは、その場にいた全員が目を疑いました。リアのブレーキキャリパが取り付けられない状態でシェイクダウンを敢行した僕だけは何も言えませんでしたが...

先輩も後輩も乗車拒否したため(当たり前ですね!)米澤が乗り込み、何とか自走して止まる所まではこぎつけました。

最初に日程を組んだ時は、春休みにシェイクダウンとか絶対無理だろ!!

と正直思ってました。

それでもここまでできたのは本当に先輩の助けと、顔が土気色になりながらも制作作業を続けてくれた1,2年生のおかげです。

ホントにありがとう...

そして10最大の波乱となったのはデザイン、コストレポートの制作期です。

1年生がたくさん入部してくれたので、これなら何とかなるかな、なんて考えてしまったのが今思うとフラグだったんです。

米澤が未着手のステア、インパネ周りのコスレポと書きかけのデザレポを残して失踪

すべての目論見が崩れました。

結局立て直し切れず(ということにしてください)ボロボロのコスレポを提出してしまいました。

昴とデザレポを提出するとき、締め切り5分前にグラフの間違えを見つけてしまい大慌てで修正したのは良い思い出です。

見つけた瞬間は焦りと絶望で手が震えてきました。

あとコスレポ提出当日に、僕の落書きを提出用バインダーの表紙にして用意してあったのですが、

レポートの進捗がカッツカツなのに何でそんなところに本気出しちゃったのかな!!と思いつつ、

本当に仕事の早い頼もしい後輩たちだと思いました。もちろん剥がしました。

8月の富士合同走行会は、期末試験と重なってしまったため、急きょ先輩方に代わりに参加してもらいました。

08メンバー中心のベテランの先輩方にお任せしたので、きっといっぱい走りこめただろうな!なんて思ってました。

いざ帰ってきたマシンを見てみるとペダルが90°横向いてるんだけど

どうやら僕のゴミ設計のせいで荒深さんの踏力に耐えられずステーごと曲がったようで、現場で溶接し直したそうです。

僕の数ある戦犯事案のひとつです。

特に夏の走行会時期は、家に帰ると絶対に遅刻すると思ったのでよくセンターにお泊りしたのですが、

翌朝秋山に踏んで起こされるまでがワンセットでした。

秋山の容赦のなさがうかがえる一幕。

あと走行会前夜の整備中、トイレの中で寝落ちして電話で起こされたのも僕の悪行のひとつです。

寝落ち関係では本当にみんなに迷惑をおかけしました...

大会ですが、10大会がここ数年で一番ドタバタでしたね。

まさかの大会初日に台風が直撃!

テントが風で飛ばされそうになるのを抑えながら整備をしていました。

しかも滝のような雨が降る中、本部から風が危ないからテントをたためという指令が飛んできてメンバー全員絶望したのもよく覚えています。

静的審査が急きょアリーナに会場変更になったり終始あわただしかったですが、かえって落ち着いて臨めたような気がします。

後日走ったオートクロスでは、「まずは一本走って記録残そう!」という思いで朝イチバンの路面の冷えた、しかもまだ雨の残る中秋山を送り出しました。

正直このときは中村さんをエースドライバーとしていたので、秋山に良いタイムは期待していなかったのですが、

この最悪のコンディションの中で叩き出したタイムが、その後晴れてきてからも更新されずまさかの種目一位...

順位の速報を聞いたときは「いやいやまさか~w

」と三回くらい聞き直しました。

雨男の伝説はここから始まった...?

10は唯一デザインファイナルに出場した年でもあります。

正直ファイナル出場は無理だと思っていたので、出場が決まったときは嬉しいよりも「やべぇなんも準備してないどうしよう...

」とか考えてました。

何にも参考データがないじゃん!!って。

急きょ渡辺さんと国実さんに夜中まで付き合ってもらって対策することになりました。

おかげで何とか切り抜けてデザインで過去最高の2位を獲りましたが、あれは本当に昴と先輩たちが獲った順位でしたね。

あとはエンデュランスも中村さんと秋山が安定した走りでほぼノーミスで走り抜けて、

表彰式では他大のリーダー達を肩を組んで喜んで...

この後もいろいろあったのですが、

バタバタしてる間に、本当にあっという間に大会が終わっちゃいました。

みんなのおかげで獲れた総合3位は素晴らしい結果で素直にうれしかったのですが、

正直最後までJ智大と競っているつもりで頑張っていたので、

まさかの黄緑色の車が優勝と分かったときは ぐぬぬ... といった気持でした。
だってあの車カッコよくないんだもん!!!

センターに帰って荷物を降ろして、みんな帰った後に一人10マシンに乗って感慨にふけってたら

そのまま寝落ちてマシンの中で朝を迎えました

腰は痛いわケツは痛いわ、なかなか素敵な目覚めでしたよ。

とまぁ、10はこんな感じでした。

ここからは11へと世代交代するわけですが、あとは鈴木が書いた通りです。

最初から最後までゴタゴタのバタバタでめちゃくちゃキツくて、みんなに迷惑をかけ通しの一年間でしたが、

なんだかんだ車を走らせるのは楽しかったので最後まで頑張れました。

...なんだか長くなったうえに何が書きたいのかわからなくなってきましたのでこの辺にしたいと思います。

きっとこれからもYNFPはいろんなでっかいトラブルに見舞われるでしょうが、諦めないで落ち着いて頑張ってください。

10みたいな極限状態でも案外何とかなりましたから。

陰ながら応援してます。

どんな形であれ、3年以上付き合う活動ですから「後悔しないように」ね。

最後に「留年するほど頑張るのは勝手だけど、やっぱり後悔だけはしないように」と7年生から言い残していきます。

左下が私です。実はこのときめちゃくちゃお腹痛かったのを覚えてます。