解析しながら雑談
後ろで解析を回しながらこんばんわ
カウルCADと戦い続けてはや2ヶ月の堀です。
さて、書くこともあまりないので雑談を垂れ流させていただこうかと思います。
文章としては破綻している上に長いため、読まないことをお勧めします。
"まとも"って何なんでしょうか?
(この文では勝手に 変≒まともじゃない として扱います。)
中学生とか高校生とか大学生とかでなにかしら"グループ"に所属すると自分たち、
もしくは自分を"まともじゃない"と言う人が多くなっていると思います。(自分が所属した団体が偶然そんな感じのばっかだったのかもしれませんが))
ですが、まともって何ですか?
個人的には 一般的な人と同じだということ つまり、
マジョリティ=まとも マイノリティ=まともじゃない
がここでいうまともの定義だと思って使っています。
日記でこんな文を書く。これはまともじゃない人の典型となりますかね。
辞書的な意味で言うと
ま‐と‐も【正=面/▽真▽面】
[名・形動]《「真(ま)つ面(も)」の意》
1 まっすぐに向かい合うこと。正しく向かい合うこと。また、そのさま。真正面。「―に風を受ける」「―に相手の顔を見る」
2 策略や駆け引きをしないこと。また、そのさま。「―に戦ってはとても勝てない」
3 まじめなこと。正当であること。また、そのさま。「―な人間になりたい」「これは―な金だ」
【引用元:goo辞書】
だそうです。
人がまともかを表すのは3の意味でしょうかね。
ですがそこに含まれる まじめ は私たちが言う"まとも"でしょうか?
多くの人が変なこと大真面目にをやる人をまともな人と私たちは言わないと思います。
ということは 正当であること が一般的に使われる"まとも"の定義になるのでしょう。
では"正当"とは何でしょうか?
これを繰り返すと無限ループに陥りそうで面倒なんでここでやめます。
一旦まともという概念はよくわからないということで、自分が思っていた理論で書きます。
さて、ではなぜ学生は自分たちのことをまともじゃないと言うのでしょうか?
個人的には原因として、少人数のグループに区切られると、
・他人と親しくなり、よく自分との差異が見える。
・自分の所属するグループについても他グループとの差異が見れるようになる。
ということがまず挙げられると思います。他のはめんどくさいので放置します。
しかし、他の者との差異というのは本当に"まとも"の基準となりえるのでしょうか?
その比較された対象は実は自分たちと同じなのにその点を自分たちが見えていないために
自分たちがまともじゃなく見えるだけということはないのでしょうか?
つまり、見かけのマジョリティと真のマジョリティはイコールとして良いのでしょうか?
本当にあなたの時間と周りの人にとっての時間は同じ速さでしょうか?
本当にあなたが見ている色彩と他人が見ている色彩は同じでしょうか?
本当に世間でかわいいといわれている物をみんなはかわいいと思っているのでしょうか?
本当にあなたの周りの人はあなたと同じ人間ですか?
話が脱線しすぎましたね。
あえてここでみんながまともな世界を考えてみます。
差異がないみんなまともな世界だったら名前とメンバーと活動内容が違うだけの画一的なグループしかこの世に存在しなくなり、
「名前」のような定義と運動神経といった「性能」が違うだけの人が存在するだけとなります。
面白くないですよね。
私たちがいる世界はこんなつまらない世界じゃないはずですよね。
よって、"まとも"なんて概念は見かけ上でしか存在しないんじゃないでしょうか?
他人と違う点が他人に見られていない、自分でも気づいていないから
"まとも"なんて概念が学生間で使われているのではないでしょうか?
ということは、
"まともな人"とは"一般的であるように見える人"
でしかないのではないでしょうか?
そして"まともじゃない=まとも"となりえるのではないでしょうか?
これが今、自分が行き着いた結論です。
読み返すと論理の飛躍が甚だしいですねこの文章←
まあこんなのは定義によっていくらでも変わると思います。
これはあくまで私の基準で、私の物差しで測ったときの話です。
は?となる点が多々あると思いますがスルーすることをお勧めします。
長くなりましたね。明日の日記はこの日記からの素晴らしい繋ぎをしてくれそうな三井先輩です。
解析終わってない・・・・・・