感謝
こんにちは西川です。
とうとうこの日記を書く日がきました。
思い返すと、この2年半はほんと一瞬で終わったなって感じです。
でもその中で、辛いこと、辛いこと、辛いこと、..................
今辛いことしかパッと出てこないですけど笑
まあゆっくり振り返って思い出していきます笑
まず一年目。
ものづくりがしたい、優勝したいという思いから入部しました。車にはまったく興味がなかったので、初心者からでもやりやすいという理由からシャシー班に入りました。ここでパワトレ班に入ってたらどうなっていたんだろうと想像しただけでゾッとします。自分は基本的にシャシー班の活動日である月・水・日に行っていましたが、徐々に火曜もやってる、金曜もやってる、土曜もやってるという噂が同期の中で流れてきて、俺もしかしたらやばい部活に入っちゃったのかもしれないと思い始めた時期でもありました。でもその中で、タイヤ交換したり、トルクチェックしたりと、実際にマシンに触れる機会をいただいて、少しでも貢献できていると実感できてうれしかったです。
二年目。
初めて自分が設計したものが載る!って思いワクワクしていました。自分はリアハブアップライトとスタビライザーを担当しました。特にアップライトは、あと何g計量化せねば、でもここの肉落とすと剛性落ちるよなーなんて考えながらやっていて、「ザ・ものづくり」って感じで一番楽しかったですね。でも初めての外部走行で、リアアップライトがお亡くなりになったときは、設計者としてダメだったなって思いました。結局最後の最後までアップライトのことを引きずりながら大会を迎え、エンデュランスを完走したときの安堵感は半端なかったです。
そして三年目。
自分たちが主力となる代で、自分はシャシー班リーダー、トラックエンジニアを務めることになりました。結果から言うと、どちらもダメダメでした。まず大会終わった直後の9月。シャシー班リーダーとして最初のミーティングの司会を行いましたが、思い出したくないくらいグダグダでした。そしてトラックエンジニアとしても、こういった車にしたい、18のマシンでこういったことがしたいというのが思い浮かばず、結局自分では何もできませんでした。10~12月の設計期においてもこれに加え、自分の勉強不足を痛感させられました。自分は何のためにこの活動をやっているんだろう。この活動に自分は必要なのか。そんなことを思い始め、今思えばこの時期が一番辛くて、一番辞めたかったです。製作期は順調に進み、シェイクダウンも何事もなく迎えられ、これから本格的に走行シーズンとなってからがまた辛かったです。毎週の走行会のメニューを立て、そこからどう速くしていくか。自分には全く新しいことで何も分からず、結局先輩に頼りっきりでした。それでも走行会を重ねていくごとに、マシンが速くなっていくのを目の当たりにできたのは正直嬉しかったです。またデザインメンバーとしてレポート作成していくことも全く新しいことで、結構ボロボロに叩かれたりしてメンタルやられました。それでも辞めなかったのは、優勝したい、その一心でした。
大会では、静的も動的も、やるべきことすべてを全力でやりました。たぶん人生で大学受験の次くらいに集中していた期間でした。今思えばこの一年間、いやこの二年半、このときのためにやってきたんだろうって思いました。結果は準優勝で、やっぱ悔しかったです。あの時こうしてればって今でも思います。でも、メンバーみんなが優勝という目標に向かって突っ走っていた姿を見てきて、この結果はしかるべき結果なんだと受け入れることにしました。
ちょっとダラダラと書きすぎたのでそろそろ終わりたいと思います。
この1年間、シャシーリーダーとして最低限の仕事もしてなかったけど、迷惑をかけたメンバー全員とそれでもついてきてくれたメンバー全員、また多大なるご支援をしていただいた先輩・先生方、スポンサーの皆様に感謝を述べて終わりたいと思います。
本当にありがとうございました。
この部活に入ってよかったと思います。
明日の日記はパワトレリーダー&エンデュランス完走ドライバーの福田です。