2年半の戦いを終え

こんにちは

シャシー班リーダーとコストリーダーを務めました塙です。

気が付いたらもう引退をしていて、この2年半は本当にあっという間に感じました。最後の8月9月は余計なことを考えないようにしていたので、大会が終わったら一気に肩の力が抜けました。

入部してから最初の大会が終わるまでは、言われたことをしっかりやる。ということばかりで自分で考えて行動するということはあまりなかったような気がします。というかあまり覚えていないですね。

16になってペダル・ブレーキ担当になり、新たな取り組みとしてステンレスパイプ製ブレーキラインを搭載しました。なかなかエア抜きが完了せずに大分苦労しました(原因はステンレスパイプとは関係ないところでしたが)。それもあって本番のブレーキテストが一発で通った時はうれしかったです。

そして、17チームへと移っていったわけですが、16チームは上級生が多いことが何よりも強みだったので、7人しかいない17は不安でしたね。

17になり、元々ただのペダル・ブレーキ担当だったのが、サスジオ・ペダル・ブレーキ・ステアリング担当に膨れ上がり、プラスでシャシーリーダー、コスト担当になりました。ぱっと見ものすごいですけど、現役メンバー全員がそんな感じで担当部品や役職が増えました。

設計期は今振り返ると後悔だらけですね、もっと色々やれたんじゃないか、もっとこうした方が良かったんじゃないかと。とにかく時間がなかったのであまり試行錯誤することもできず思いついたことをやったら設計期が終わっていました。

そしてデザインレポートや、パネルを作るときに悲しいほどに書けることがない。設計期何やってたんだろうなと、デザインの結果を見てしまうとなおのことです。とはいえ、自分の技量を考えると仕方がない、というより形にできて良かったという方が大きいです(といことにしておきたい)。

コストはいい記憶はあまりないです。

人数が少ないからこそ、一人一人の担当する部品数が多く、1人が溜めこむとその遅れを回収するのがまたしんどくなり、早め早めと連呼して進めていたのに、レポート提出までの残り日数を見たらほとんど余裕がないという事実に気付き、大学の実験レポートも重なったりしてかなりハードでした。デザインレポートによってどうやっても1週間コストが止まってしまうので、デザレポ提出後からが戦いでした。

コストは絶対に‐100点にはなりたくなかったので、できるだけ期限遅れには厳しく対応するよう努めていたらコスト期が終わるころには「キレ芸」というどこまでも不名誉なあだ名が付いていました。でもいいんです!ちゃんとレポート受理してもらえたのだから。

コスト期を越えて若干人間不信になりましたが、今となれば人として大きく成長できたいい機会になったと思います。苦労は多かったですが、その分得られたものも多かったです。

来年の担当者はこれを読んで相当身構えてしまうと思いますが、すべてはやり方次第です。15以降コスト期の動きはどんどん良くなっているので、来年はよりホワイトなコスト期にできるはずです。

そして大会へと向かっていったわけですが、辛さで言えば大会直前の一週間が一番つらかったです。残り数日しかないのに、デザイン審査の準備、コスト審査のリアルケースの準備、コストの追補資料の作成とどうして大会直前にこんなに慌てているのだろうと悲しくなりました。どう考えても残りの日数でこなせる量ではなく、かといって人に振れる作業もほとんどなく、おまけに追補資料の価格を合わせるのにコスレポ作成時以上に苦労し、結局追補資料が完成したのは大会前日でした。出発日の前日にシャワー浴びるために一時帰宅したのにひたすら家で価格チェックしてました。この時に値段のズレの原因を見つけられていなかったら、コストは酷いことになっていたと思います。

大会1週間前に来年のコスト担当が決まり、鈴木さんにリアルケースを手伝ってもらっていなかったら恐らく追補資料を完成させることはできなかったでしょうね。とても助かりました。

そして静的審査前日、リアルケースは鈴木さんに任せてデザインの準備をしていったわけですが、付け焼刃の準備では到底間に合わず、予想外の質問ばかりだったというのもありましたが、デザイン審査員の質問にほとんどまともに答えられませんでした。

他のデザインメンバーの皆には本当に申し訳が立たないです。

そして、デザインメンバー兼コスト担当というのは来年以降絶対にやらないで欲しいです。

自分には無理でした。

こうやって書いていると失敗、後悔ばっかりですね。

なんだかんだでシャシーのトラブルがほとんど起こらなかったのが唯一の救いでした。

嫌なことばかりなようですが、決してそれだけではありません。各方面に手を広げた結果様々なことを経験できましたし、やれるだけのことはやって、それで無事すべての競技を終えることができたのですから、その成果には満足しています。

それになんだかんだで、やめたいと感じた時はほとんどありませんでした。自分が主体性のない人間だということもありますが、途中で辞めたところでそれによって得られるものは後悔だけですし、その後の結果はどうなるにせよ最後までやりたいと思い、続けていけました。

苦労ばかりでしたが、苦労すること自体に意味があったと思います(?)。

17でうまくいかなかったことは18への引継ぎで同じことにならないように伝えていこうと思います。

来年は1年生の人数が多いという大きな武器があるのだから、1年生は多くのことを覚えて上級生の手助けをできるようになって欲しいですね。

自分は優秀なシャシー班リーダーでもコストおじさんでもなかったと思いますが、大会まで協力してくれた17メンバー、そしてYNFP-17に関わって頂いた方々には感謝しきれません。

大会を終えて完全に気が抜けている状態ですが、手伝えることならできる限り手助けしていきたいので、気軽に呼んでください。

最後になりますが、この2年半YNFPに関われてよかったです。本当にありがとうございました!

次の日記は1年越しの冷却との戦いに見事勝利した古澤です。